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12月になるといつも思うんだけど、時間の経ちってあっという間だね。この間なにをしたのか?ちゃんと時間を生かしたのか?という疑問に襲われてしまい、「時間の使い方が効果であったか」という見方より『「今」の間で生きて行く』ことをいつの間また忘れてしまったんじゃないかと...

二三年前か、有名になったEckhart Tolle エックハルト・トールとthe power of nowという本が「今」の間で生きて行く必要性を強調していたが、皆さんご存知でしょう。

この本の始まりにエックハルトが「今」で生きて行く経験を述べて、精神から解放されたスピーリットになった状態で、まるで魂が体から抜け出して、魂の目で世界を初めて見る体験をしたという。彼が見たのは:美・愛・喜び

この本を読み始めた時に、それを自分も体験したワンネスにそっくりだ!とびっくりしてワクワクしてきて彼の本を読みまくってきた。確かに数年前だいたい同じ経験があった。当時で疑問に思っていたのは、ワンネスという状態って「目的なるマインド状態なのか?」それとも「ただの一時期の状態なのか?」つまり「そういう状態をどう生活の中で受け入れられた方がいいなのか」というのだった。

あれからいろんな人にそういう話をしたり、意見を交換したり、自分の経験が進むほど進めたら「ワンネス」という状態は決して「目的」ではないと思いついてきた。「目的」というのがあったとしても、今、この物質な体で「生きる」経験をどうにか宇宙の調和に沿って豊にした方がいいんじゃないかと。ワンネス自体は、生きる経験の中での宇宙からのヒントに過ぎないかもしれない。「宇宙ってどんに大きく、どんなにジョイフル、どんなに愛に満ちているなのを忘れないでね」みたいなヒントかもしれない。

「生きる」を幅広く豊にすること、つまり宇宙として生きること。ジョイフルで愛に満ちている心で宇宙からの刺激を幅広く受け入れられるようになること。それは、何が正しいなのか、何が存在するかしないかという二元論な見方を捨てた見方から、いつも新たな心。自分はなんの判断ができるのか。数十年前に生まれてきた自分は宇宙を判断するとは笑い話だなと私意見なんだけど。

しかし、そういうのはすごく簡単に忘れるもんだね。だからこそこういう本がいつの間に目の前に飛び出してくるんじゃないかと思う。

数週間前に読み終わった「奇跡のりんご」の中で、りんごの木の土を豊にするため豆を植えた木村先生。生態系の網を復活するために自然の網引きをよりもっと精密に、いろんな種を植えてきた結果、自然が再び働き始めたと彼が言う。砂漠に立っているただ一本の木みたいに、私たちも近代の生活の中で、自然の生態系から離れて宇宙の調和を感じられなくなったんじゃないか。

念のため、うちの観葉植物の植え鉢にもいろんな種を植えてきた。アパートの中で生態系を復活するためどころか、ただ自然が好きという念いを宇宙の方に送るか、パリという都会でほんの小さいな自然の島を作ってみた。

レンズ、小麦、カボチャ、レモン、りんご、豆、なんでもいいから、ただ植えてみただけ。どれほど芽がでてきたか、自然の緑からの癒しは確かに受け取れた。見るだけで癒す、感じる。それは、ある程度、ジョイ/喜びの一種かも。

それはそれでなによりもありがたい。

以下はその写真:

幽体離脱、臨死体験、UFOを見る、宇宙人、あの世、前世等々と言った超自然現象を真剣に研究する機関はフランスにも幾つか存在したが、2007年にそういう経験をしてどうにか専門家(カウンセラーであろうか、医者であろうか)も対応できるように「超自然現象」を専門家の見識の範囲に入ろうと新しい方向へいろいろ活動している研究所が誕生した。

異常な経験の研究所というInstitut de recherche sur les expériences extraordinairesのINREES(インレス)(英語版も有)

その研究所を成り立ったのは元記者なので、よりもっと簡単にそれぞれの話題を公にしたり、アメリカや海外で異常な経験をした人に直接会ってレポタージュをやったり...目的は超自然を自然の範囲に取り戻すこと。どうにか「異常」な経験を「常」にすること、つまり宇宙の見方をよりもっと広くにすること。

一ヶ月に一回か二回、講演が次々にあって、今月は「チベットの文化と歴史を見て、チベット人がどう異常の経験を処理したのか」というテーマで、僕は早速ネットで予約を入れた。講演が終わったらネット上でPostCastになっていつでも聞けるようになる。更に、講演のテーマのアトリエが週に二三回行って、専門家とグループで質問ができる空間が作られる。

スピリテュアルの次元が非常に薄いフランスでは、なんとありがたい研究所だな。

募集中、On demande

“Nous ne sommes pas des êtres humains vivant une expérience spirituelle, mais des êtres spirituels vivant une expérience humaine.”

私たちはスピリテュアルな体験をしている人間ではなく、人間の体験をしているスピリテュアル・ビーイングなのです。

アイデンティティー、出身、人種それぞれ全ては人間の体験の範囲に入っているものなです。その範囲を超えるのはスピリテュアルの世界。

幽体離脱という言葉の意味、皆さんご存知だと思いますが、魂が臨時的に体から抜き出て、スピリテュアルの世界へあちこち回って、また体の中に戻ってくるということ。それをマスターできるかどうかという質問を別にして、皆必ず幽体離脱を体験したことがある。問題は思い出せるかどうかということだ。僕は殆ど覚えてない。10分の2しか思い出せなかったかもしれない。それでも、その10分の2を思い出しても、どういう解釈すればいいか、それ何?見た事ないものだ、これだれだったっけ?という謎がまだいっぱい残って、最後に単に受け入れられる体験ばかりではないので、自分の気持ちを処理する必要もあった。(「その10分の2以上思い出せたらたいへんかも」と何度も思ったあるし。)

幽体離脱できる? 僕は一人ではできない。案内してくれるビーイングがいてくれれば可能にはなるけど、それは自分がやっているよりも向こうのビーイングのお陰でどうにかできてしまったということだ。つまり、自分なりのコントロルはほぼゼロに近い。南アメリカのナグアル(現地のシャーマンの名)みたいに練習すればするほどマスターはできると思うけど、はっきり言わせてもらえば、僕はそのところがちょっと抜けてたかもしれない。(とりあえず、向こうがいつも案内してくれると思っていたせいか...)

案内してくれたスピリテュアルの世界から見た宇宙の経験は、魂に深く刻まれて、あれから以前の生き方全体が変わってきた。

人間とは何?生きるの美とは?宇宙と自分はどんな関係がある?自分はなんで生まれたの?等々というような疑問は誰でも抱いていると思う。それぞれを宇宙に直接聞いてみれば、必ず返事が返ってくる。

十二年前にUFOを見てコンタクトを取れた宇宙人もああいう疑問を抱いて、経験を重ねてきたプロセスの中で、心の経験をシェアする必要性を理解したようだ。その理解を得てから彼らは同じ疑問を抱いている人に幅広い経験を体験させることにいろいろ活動している。

経験できるのは興味次第だ。宇宙を心で触りたい方、いつまでも募集中。コンタクトは、遠慮なく、直接心からどうぞ。宛先は「宇宙」。

そう、またワンネスについてポストを書いてしまった。以前のワンネスについてのポストで、自分が経験したワンネスの体験(一瞬の間の宇宙と一体感)を述べて、ワンネス自体とはなにか、なぜ起きたか、どうやって起こすかなど、いろいろ自分で解釈しようとしたが、これからはどうなるというのはまだ未定だったか、まだ「ワンネスを体験した」の続きが不明だったまま。

ある程度、今でも不明だけれど、最近、特に先週、ワンネスに近い状態に入るのがより頻繁になって、そういうのをまた体験するとなんとなく「ワンネスを体験する」ことの意味と影響がまた手で掴めるように、すこしだけでも、分かっているようになった気がする。

分かっていることは決して安定していないのを意識しながら、今の状態で、ここまでの解釈にしか過ぎない。また変わるかもしれないし、変わってきたらまた新しい方向で発展して、発見するものがまた増やすかもしれない。

最近、ワンネスを体験する一寸前、一瞬の間に僕の知っていると思っているものは空っぽであるのを心で分かるようなる。そして、新鮮な非常に輝かしいな喜びが心に心に溢れてくる。心がこの気持ちで溢れていたら、「自分」という独立した存在が消えていて、世界/宇宙/ライフが自分の体を滝のように通っていくのを実感し、生態系の声(心)が聞こえてくる。その時、生/死/病気/幸福/不幸、全部が非常に美しくなって、その美しさの前で心が感動し、涙が既に頬に流れている。ワンネスを体験した後、どんな方向へ生きて行きたいのがはっきりとしている。そして、その方向を毎日の生活で忘れて行く過程が何度も繰り返してくる。

通勤、仕事、残業、時間が取れない生活の中でも、生きるとは目で見える世界を超える意味なものなのだと心で感じようとしたら、ワンネスは遠くない。ワンネスは目標ではない。目的は生きるとはなに?どこまで経験ができるか、どこまで夢が可能であるか、そして体で現実を経験することはどんな喜ばせるものなのかと心深く分かるようになること。

ワンネスとは「生きる」のある可能な状態ではないか。生きている範囲(=宇宙)を幅広く心で分かれば分かるほど、生きることは美しくなる。心で喜びが溢れるまで美しくなる。

 霊を見ること、宇宙人とコミュニケーションを取ること、自然のスピリットや植物の声を聞くことも、そういったあらゆる超自然現象を経験するにはスーパーパーワーが必要ではない。生まれて、体を使っている魂に更に加えるスキルが必要ではない。既に備えてつけられている。それは心である。心の柔軟性によって、宇宙からの刺激の受けいられる範囲が多様である。

今まで、宇宙人とのコミュニケーションでもそうだったが、亡くなった霊やエンジェル(人を守っている霊)からの声を、何回も、聞かせたことがある。なんで「聞かせた」のか?

それは、自分から聞きたいから聞いたより、向こう(霊、エンジェル、宇宙人でも)から話があるから聞かせたことだったから。僕と話があるからでもなくて、向こうの声が聞こえるから僕経由でメッセージなどを伝える願いをしに来るわけだ。「彼女/彼にこう言うて」とか「彼女/彼にあれこれを忘れないでねと言うて」などという単なるメッセージから、もっと説明しにくいコンセプトまで、僕の心の耳からいろいろが通って伝われている。

二三年前から、人のエンジェル(人を守っていろいろ手伝いをする霊のこと)からのメッセージが多くなってきた。

以前、僕はエンジェルの存在をちょっと疑問に思っていた。本当に存在するか。本当に必要があるのかなと。ただ人の望む存在じゃないかといろいろエンジェルのことを疑っていた。

今でも、エンジェルであるかどうか分からない。人の人生が始まるから最後までつき合ってもらうエンジェルであるか、ただの亡くなった人じゃないかと、いろんな疑問が今でも頭に浮かんでいる。そういう疑問に答えが見つけなかったから、疑問はそのまま。

僕にもエンジェルが付いてるかは分からない。ただ、時々、友達や出会ったばかり人の「エンジェル」からメッセージが心に入ってくることがある。メッセージの形は言葉であったり、気持ちであったり、ビジョンであったり。時々、そのエンジェルという存在を心の目で見えるようになることもある。

ただ、いつも、向こうから声がかけてくる。自分が積極的にエンジェルに話そうとしているのじゃなくて、エンジェルが僕のところへ伝えをする一方通行なコミュニエーション。

確か、体を使って人間を経験する僕の魂はエンジェルの世界に溶け込んで、ひたすら目で見えない世界にしか生きるのを望んでいない。せっかく体を使って苦労して人間の経験をするから、エンジェルの世界に戻るのはちょっと早すぎ。後、用がないエンジェルに声をかけて「なんか言うて!」と向こうへ接近しようとしたら、ちょっとばかばかしいじゃないかと。最後に、見えない世界の誰にも使われる者になりたくもない。

基本的に、エンジェルや霊からのメッセージが欲しい訳でもない。

最近、そういう現象は二三週間前にもあった。台湾で6ヶ月間前ぐらいに一度しか会わなかった日本人のエンジェルからメッセージが入ってきた。昼時間に途中に頭に入ってきた。「彼女にこう言うてね。」と。そして、彼女の知り合い経由でメールでエンジェルの伝えた内容を伝えた。それだけ。

メッセージはたいだい励みや見えない世へ興味をもたらす内容。

ある程度、僕は見えない世の留守番センターになったかもしれない。

最初は見えない世からのメッセージを分析したり、疑ったり、部分にして分けたり解釈しようとしたり、結局「受信者」に伝えなかったり...伝えなかったら、微妙にまたメッセージが入ってくる。二三週間も伝えなかったら、かなりプレッシャーまでになる時もあった。「いい加減に伝えて!」って。

「もう、なんでもありえるから、あまり考えないでいろいろ経験すればどうか」という考え方にスイッチしてから、意外と効果的にそういったメッセージを聞こえる/伝えるようになってきた。それはよいものであるか、危ないであるか、やめた方がいいか、続いた方がいいか、僕自体で決めるもんじゃないから。

受けたものをそのまま、伝えるだけでいいじゃないかと。メッセージの影響は僕と関係がなく、送信者のエンジェル・霊・宇宙人・何者かの責任であると思うようなった。

もう、完全に留守番センターになったかも。

見えない世の留守番センター

体, le corps, 身體

魂が使っている体を理解する必要がいつも、宇宙人のコミュニケーションの中で、強調されていた。

強調されたのは、体の使い方には一つ正しい道があることのではなくて、体のいろいろについての基本的な理解だけが促された。

目的は「体を理解してから、後は自分で道を選ばれる」だったと今でも思う。

いろいろ教えられたわけでもない。「これは正しい、これはいけない」という教え方でもなかった。

一度、彼らに「じゃ、肉を食べるのはいけないですよね?」と直接に聞いたことがあったが、反応は「この質問が含む内容自体を分かってから、自分で返事を見つけて」だったと。

要するに、宇宙人に教えられたのは「学ぶアイテム」よりも「経験経由で得られた理解」のだった。例えすると、普通の学校の中で「先生が言うことをそのまま覚える」方ではなくて、理解に必要な経験が備え付けられて、解釈は殆ど自分の手でどうにかで探し出す他しかなかったという学び方だった。

解釈をやっと手にするのを何年かかったのもあった。そして、この解釈は正しいであるかも「宇宙の理解力による解釈なので、理解力が広げればそれぞれの解釈もいろんな方向で発展するでしょう」と、「これだ!」と思ったことが何回もあったが、それより「今の状態でこういう解釈ができる、その解釈自体はいろんな解釈の中での一つのもので、自分がこの解釈を選んだからこれからの人間の経験はこの方向へ進むようなるけれど、解釈を変えればまた違う道を歩ようになれる。」と。

もっとはっきりとした「イエス」か「ノー」がいいといつも思っていたが...

1995年、牧畜産業のスキャンダルが連続に暴露されていたヨーロッパ。当時、15歳の僕はテレビでニュースに流れていた本当の肉の生産プロセスと動物の扱い方を初めて見て、以前社会のそのところをまだ信頼していた僕は騙されたような気持ちが沸き上がって、「絶対に牧畜産業に自分の反発をみせてやる」と思いながら、肉をやめようと決めた。

15歳でこれをするとなんの効果が出るかは当時でも疑問に思っていたけど、とりあえず反発の力を借りて肉なしの生活を始めた。反発でいろいろできるようになるんだなと今でも思うけど。

母親と討論に入る必要もなかった。「その代わりに魚をちゃんと食べてくれたらいいよ。」とディールがこれで決定。

母親は料理が好きでフランス料理だけでなく、いろんな外国料理にも興味を持っているから、肉を食べなくなった息子にこれからなにを作るかというのが料理のチャレンジに思って、順来の料理の作り方を新しい方向で発展しようといろいろ試していたお母さん。フルタイムで働いていた彼女にももっとも難しいチャレンジだったかもしれない。そこはまた文化の違いがあると思うけれど、母親が料理を作る時は殆ど週末だった。平日は皆それぞれのスケジュールで一緒に食事することは珍しかったから、平日は仕方なく、自分で料理するようにしかならなかった。料理すること自体はフランスの文化の一部として欠かせないものなので、13〜15歳のティーネージャーが一人で料理をすることは、フランスで、まだ想像で掴める現象なのだ。(鍵っ子は昔から一般的になった現象だし。)

正直言わせたら、当時、学校から帰ってきたらおやつとして電子レンジでハンバーガーを温めて食べていたのは毎日のことだった。週末の朝ご飯はもっとひどかった:ワーフル&ダイエットコーク。

はい、フランス人です。

そういうアンバランスなダイエットから急に「無肉食」になったのは、反発の力のおかげなのだ。以前も環境問題に敏感だったけど、そこまで自分一人でなにができるとまだ深くまでは考えたことがなかった。当時、暇があったティーネージャーの僕にとって、「買う/買わない=意見を示す」のような考え方が基本になってきて、今でもこのモートで一般的なものを買おうとしている。それは正しいであるかどうかを別の話にして、ただお金の影響を考えて、違う方向へ行けばどうかなと思ってからボイコットが好きになったかもしれない。

宇宙人と目で見えるコンタクトを取ったのは、あれから二年後。当然、彼らのメッセージの中では、地球が人間の成り立った殆どの生産業に食われていることが何回も何回も、様々な違い観点から見せてもらったことがあった。

どこが悪いなのかいいなのかよりも、どういう仕組みがあるのかを見せてくらた。判断せずに、ただ感覚で私たちのやっていることは自然にどんな影響を及ばしているのか、心で感じさせた。目で見るより、心で感じる方がよっぽど魂深くに残させるだろう。

体は宇宙と一緒。大きいなネットワーク。全てと繋がっている網。

なので、一番大切なのは:循環をより安くする。

循環に欠かせない、よく効くものは:水、油(脂肪)、酢

その三つを大切に使えば、体がもっとも宇宙と精密に繋がりを作れるようになるはず。なので、その三つのものの品質を極めて注意した方がいい。水と油は情報を運ぶものとして、水で体の内部を洗うことも汚れる事も両方できる。油(脂肪)は各セルが他のセルとコミュニケートする時に使うもので、長くセルの中に保存される要素なのだ。残念ながら、農薬や一般的な化学は脂肪に溶解する傾向がある。最後に、酢は体のPhを調整するもので、病気の予防に役割があるもので、体の酸性は一定のではく、季節によって大分変わるので、季節に合わせる体調には便利なものとなる。

目標は「健康」、つまり宇宙との調和。調和とは安定した一定なものではないから、そこからまたチャレンジで出てくるだろう。

繊維やビタミン、蛋白や脂肪だけではない。形より内容。内容は環境がその要素の中に記された記録。

食べるもの自体は「情報」。

体

最近は、簡単に忘れるものを改めて思い出してきた。きっと、また忘れるようになるだろう。

それは、直接宇宙に向き合うという大切なこと。

台湾からフランスに戻ったら、頭のどこかに解決しなかったものをそのまま荷物に入っていたようで、体にいろんな方向でその不解決のが表現し始めた。表現されたのはそれほど重い病気ではなく、ただ頭の痛みとか心臓が動悸を打つや歯茎の炎症などという体に表現/具体化する精神の悩み/不解決ストレスで、しかし連続に現れてきた。それを最初どうにか時間が経ったら治ってくるんじゃないかと思いながら、毎日の頭の苦痛を我慢し、2週間も経っていた。

この頭の苦痛に集中すればするほどもっと痛くなるのを気がついて、なんだそりゃと思って、神経による痛みなのだと分かった。つまり、この痛みは「自分」に関連するものなのだ。いつの間にストレスが溜まってきたんだろうとストレスが平気のように毎日を自由に送るふりをしている自分が、やっと精神の様子に注意を払うようになったのだ。

誰かの言葉で体のどこかの痛みが瞬間的に消えてしまうことは誰でもある経験なんじゃないか。

僕もある。帰国して心臓の様子がおかしくなった時があって、医者に向かって様子を述べて原因を自分で提案したら、話を聞いてくれたからか、医者の前で何週間も続いていた痛みが瞬間的にその場で消えてしまった。

今度、頭の苦痛もなんでだろうと最初思って、様子を暫く見たら神経による痛みだったのを分かって、またかと思った。どこかにストレスや解決してないものがそのまま残っていて、言葉で表させていないから、体で表して出てくるかと。具体化したストレスや悩み。

台湾で一度そういう「表現されたストレス」があった。帰国する前だった。大丈夫だろうと思っていた精神がどこか本当の気持ちを隠していたか、心臓がすごく苦しなってきた。足裏マッサージに行ったら、マッサージ師に言われたほど、心臓の具合が良くなかった。医者を見に行くより、大丈夫になるだろうと思いながら痛みを無視して、一週間経ったらある日夜中で心臓の痛みで目が覚めた。なぜかその時は、これは精神の問題だけだとすごく意識して、自分と話し始めた。独り言より、自分に向かって質問し、肯定なことを言い始めた。「あなたはこの体でなんと素晴らしい経験をすることすら忘れたのか?あなたは宇宙と一体しているよ。一人ぼちではない、一緒に生きている皆はこの体での経験を豊、美しいにするためにいろいろ支えて助け合っているよ。あなたの魂はどれだけこの体で物質な次元で「表現」をしたかったのも忘れたんだね。あなたに対する敵は一切存在しないから、命を幅広く抱いて精一杯生きていきな!」と自分と宇宙は同じ、分かれていない一体しているものから自分から聞くことは宇宙から聞くことも一緒。そして、目の前の見えないものを手で掴んで心のところに持って、心が宇宙の愛ですぐ癒すと肯定的な言葉を言う。100% 意識して言うその言葉は「効く言葉」になるに違いない。

今度、パリに戻ったらもう一度こういう効く言葉を使ってみた。二週間続いた頭の痛みが単なる自分に向かう言葉で消えてしまった。結果を狙いながら言うのではなく、「各言葉の意味を完全に心で意識して自分に言う」というそう簡単でもない「自己催眠」に近い工夫。鏡の前でやってもどうかな、なんとなくもっと効果が出るかもしれない。

最近はいろんな方向で「効く言葉」を使ってみたくなってきた。

もう、使わずにいられなくなってきたよ。

「皆さんも、宇宙の心と繋がって、存在の美を味わう。」

効く言葉

これからもっともっと平凡な経験になればと願いながら、UFOの話をこのブログで書いたり、UFOに興味ある人と会っていろいろ話したり、理解のできる親戚や友達に話したり、いろんな方向で、できる限り、今でもやって行きたいという気持ちで心が溢れている。

時間が経っても、理解できる範囲が大きくなっても、UFOを見て宇宙人とコミュニケーションを取ることはいくら心の準備が必要だろうと。自分の経験の解釈を徹底的変えたことが何度あったか、自分が狂ってきたじゃないと思ったことさえ両手で数えきれないほど、「自分」が非常に振るわせたことは確か。「自分」を遥かに超えるその経験だからまとめて伝えることは非常に難しい。

魂が受け取れる刺激の範囲も有限であることをその経験でよく分かってきた。これからその範囲をどうにか柔軟に、より幅広い範囲で宇宙からの刺激を受け入れられるようにすればどうと宇宙人にその必要性があると伝えられてきた。

前に書いたことがあると思うけど、今まで宇宙人とコンタクトを取った人に会ったのは、12〜15人くらい。その中で、もう頭が狂ってしまってた、それについては話をしたくないという人は稀ではない。UFOを見て宇宙人とコンタクトを取ったブラジル人の知り合いが、地球は物質的な次元に存在しているから、僕はその次元に頼って生きていきたいと言ったのも、心を準備することはそう簡単だからだろう。

一時期、僕もそうだった。心を完全に閉じたこともあった。閉じても、ノックノックが何度も聞こえてきたが。

UFOを見て宇宙人との話について、つい最近日本語で書き始めたのだ。出版されるかどうかはまだ未定だけれど、やっとその経験をもっと広く出せるようになるはずだけで、心がワクワク。なぜかというと、やっと心が軽くなるかもしれないからだ。もう、この話をどうにも出したいという気持ちで心が騒ぐ。

だって、最初から今までずっと心の話だったからだ。UFOに興味ある方、同感できるのでしょうか。宇宙人やUFOの話を聞くと、なんとなく心が騒ぐでしょう。

僕のなんとなく伝えられる日本語で書いた内容をシェアしたい気持ちで、以下のリンクに第一章を公開します。そして、一番上に貼付けられた写真は当時取られたものです。

http://docs.google.com/View?id=d84gfxk_0cnjvj4qd

今でもフランスに出版しにくいその内容について、皆さんの感想を大歓迎します。いつかそういう話がごく普通になればと思います。きっともうすぐその時期になるだろう。

改めて同じ言葉を繰り返すのだけれど、皆さんもどうぞ、直接にコンタクトをしてみてください。必ず返事が返ってくる。その返事の形は多様なので、一つの形にひたすら考えないで、幅広く心で「未定」を招くことが大切。自信がない方、僕の自信をどうぞ ^^ 十分ありますから。

縁/繋

十年前、UFOを見て、あれからなんとなく目に見えない「霊」とコミュニケーションが始まったという話を聞ける相手は、90年が終わる頃でも、非常に少なかった。同じUFOを見た友達は聞き手になれたぐらいだった。後は、友達を選んで「彼だったら分かるだろう」と思う友達に話をしてみたら、そう簡単に受け入れられなかったのは当然で、頭が狂ってる人に見られたり...宗教やカルトと関係あるじゃないかと疑われたり...自分の母親でも、UFOを見たことがある彼女にも、初めて宇宙人とコンタクトがあると思うよと言ったら「それ、カルトじゃないの?」とすぐ返事したし。

今はもうそういう時代でもない。たった十年で宇宙人とコンタクトがあるよと言ったら、興味が引かれる。やっとこういう伝えにくい経験がなんとなくシェアできるようになった。

1997年に、フランスに料理を学ぶために来た日本人の一人に知り合って、彼女は1999年に帰国して、あれからずっと日本で勤めていた。連絡をしばらく取らなくて、2、3年前に突然に手紙が届いてからフランスと日本でまた会ったり、お茶したり。つい最近「フランスにしばらく来るよ!」というメールが届いた。「仕事をやめて、荷物を全部実家に運んできて、ニュースタートをしたい。」と。フランスでとりあえず三ヶ月間滞在してから後は未定という彼女の予定はどうしても彼女らしくないと思った。以前、彼女はすごくきちんとスケジュールや予定を立てる性格だったから、今回のはちょっと驚いた。

彼女は僕の家(パリ)を訪ねたら、すぐ「宇宙の愛を感じたい、宇宙人に会いたい。」と言い出した。話の流れと全く外れ内容で、彼女が「宇宙の愛」や「宇宙人」という言葉を言うことでさえ想像付けなくて、無口だった。なんでフランスにいきなり来たかと聞いたら「今までは仕事ばっかりに集中して生きてはいなかったから、ポーズが必要」という。「宇宙は愛であることが分かったし、これからの人生をどうにか方向を変えて生きていきたい。」と。なんで宇宙人に会いたいと聞いたら「宇宙人にUFOに乗せてもらいたい、それで宇宙の美を見せてもらいたいからだ。」と。

フランス人の自分からみて、関東の性格の彼女が、ある日、そういう話をするのは自分の想像を遥かに超えるものだった。

あれから一ヶ月間後、昨日彼女はまた家を訪ねた。「宇宙人に会いたい」と彼女が言った日に、「会ったことがあるよ」とすぐ説明はしなかった。フランスまで着くのいろいろで彼女があまり落ち着いてなかったその日に、しばらく経ったら後で説明した方がいいかなと思って、話を置いといた。今回、家を訪ねてゆっくりと話す時間あったから、宇宙人の話をシェア。1998年に初めてUFOを見たのはちょうど彼女に知り合った頃だったから、彼女はちょっとビックリ。なんで言わなかったというよりも「確か、当時にそういう話をしてくれたら、怪しい人に思うしかならなかったと思う。宗教とかカルトと関係のある怪しい系のね」と。

時代が変わった証なのか。

宇宙人との経験、昔、「腐ったプレゼント」だとよく思った。「腐ったプレゼント」というフランス語の表現の意味は、なんとなく簡単に分かると思うけど、最初にプレゼントだと思い、嬉しがっているけれど、結局迷惑をかかるものだと気がついて、どうしても簡単に放せないもの。昔、その宇宙人とのコミュニケーションはまるであれだとよく思った。5年前から、やっとその経験と距離を置くことができ、なんでそういう経験をしたのか、なんで悔しいや気が済まない時期があったかも理解できるようになった。そして、全プロセスを(ある程度)見えてきて、自分でそのプロセスを続けるようになってきた。

そのプロセスは誰でも理解できるもので:宇宙を心で分かって、目の見えない世界のドアを開くこと。もちろん、言うのは簡単。そうするには方法やメッソッドは一つだけではない。一人に一つ、それぞれの人にそれぞれのメッソッド。メッソッドと言っても、経験、道という表現がもっと適切かもしれない。成功確率は100%。だって生きること自体は成功。競争さえもない。そして、この道を歩くのは一人だけではない。

今まで出会った宇宙人とコミュニケーションを取れた人(約12〜15人)の皆は個人な道を歩んできて、個人な感覚で個人な考えで個人な解釈。それぞれをシェアすると、見の見えない世界へのドアが開いてくる。

体を超える何かに意識を注いだら、もっと高い波動を感じてそれに慣れてくるようになる。そして、想像できないのを経験する。心の準備もせず、ただ経験する。怖くことなく、ただ経験する。

それは今、多くの人が経験する「腐ったプレゼント」なのだ。

想像が働くと期待が大きい。期待が大きければ、想像した通りの経験しかできなくなる。つまり、知らない世界へのドアを閉じること。

最後に、目は無用。逆に、邪魔だと思う。

向こうは必ず返事してくる。だって、向こうは人と話すのをすごく楽しみにしている。心が愛に溢れているぐらいに、楽しみにしている。向こうの気持ちを感じて、それだけでコネクションが始まる。コネクションを選ぶのは私たち。

愛が溢れている

自然の美、la beauté

今年の二月に日本にお話会をした時に、クレッグというアメリカ人の友達も一緒に来ていたのですが、参加してくださった皆さん、覚えているのでしょうか。

彼は日本語が少しだけ話せるので、その時は静に座っていて宇宙人の話の中の分からない言葉を書いて、辞書で調べたりしていた。もちろん、彼は話会の内容が分かっていて、元々UFOや宇宙人にすごく興味を持っている人なので、彼とそれについていろいろ話す機会もあった。彼自信も、このブログに書いた内容を、つまり宇宙人とのコミュニケーション、経験したこともある。

以前、彼はロスとパリの間でテレビ関係の仕事をやっていて、契約が終わった時どうにかフランスにしばらく居ようとある方法を考えたら、彼はフランスで働いていた間に懐かしく思っていたホットケーキーなどというアメリカン風の朝ご飯やそういう食べ物を提供するアメリカの伝統的な「ダイナー」というレストランをフランスにもオープンしたらどうかなとふっと思って、6年前は第一軒、3年前は第二件が次々にオープン。名前はブレック・ファースト・イン・アメリカという(写真はsnapshotsへ)。レストランの二軒にもスタッフは英語圏の国籍の人(アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニューゼランドと一番少ないのは、意外と、フランスの隣のブリティッシュ人)。雰囲気はかなりアメリカ。お客さんは半分フランス人半分アメリカ人だそうで、ホットケーキは朝8時半から夜11時までずっと食べられる。食欲の果てのない僕でも、ホットケーキを三枚で終わり。週末になると必ず外で並んでいるお客さんの行列ができている。

自然や動物に向かって敏感な心を持っている彼は、毎年できる限り、カリフォルニアのヨセミテ国家公園へ紅葉を見に行こうとしている。ヨーロッパ、日本どころか、人間がまだそんなに跡を残さなかった土地とはアメリカ大陸じゃないかと初めてアメリカ国家公園を回って自然をみて思った自分は、今回もクレッグからのメールの中の写真を見て、自然、地球はパワフルだなと感覚がした。

自然は人間の次元を超えるものだなと、私たちは毎日どんな細かいことに精神を迷ってしまうのかと、ふっとこの写真を見た時に思った。

クレッグはそこで、魂が泉に近く居るように、生き返るという。それは、分かる。

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