12月になるといつも思うんだけど、時間の経ちってあっという間だね。この間なにをしたのか?ちゃんと時間を生かしたのか?という疑問に襲われてしまい、「時間の使い方が効果であったか」という見方より『「今」の間で生きて行く』ことをいつの間また忘れてしまったんじゃないかと...
二三年前か、有名になったEckhart Tolle エックハルト・トールとthe power of nowという本が「今」の間で生きて行く必要性を強調していたが、皆さんご存知でしょう。
この本の始まりにエックハルトが「今」で生きて行く経験を述べて、精神から解放されたスピーリットになった状態で、まるで魂が体から抜け出して、魂の目で世界を初めて見る体験をしたという。彼が見たのは:美・愛・喜び
この本を読み始めた時に、それを自分も体験したワンネスにそっくりだ!とびっくりしてワクワクしてきて彼の本を読みまくってきた。確かに数年前だいたい同じ経験があった。当時で疑問に思っていたのは、ワンネスという状態って「目的なるマインド状態なのか?」それとも「ただの一時期の状態なのか?」つまり「そういう状態をどう生活の中で受け入れられた方がいいなのか」というのだった。
あれからいろんな人にそういう話をしたり、意見を交換したり、自分の経験が進むほど進めたら「ワンネス」という状態は決して「目的」ではないと思いついてきた。「目的」というのがあったとしても、今、この物質な体で「生きる」経験をどうにか宇宙の調和に沿って豊にした方がいいんじゃないかと。ワンネス自体は、生きる経験の中での宇宙からのヒントに過ぎないかもしれない。「宇宙ってどんに大きく、どんなにジョイフル、どんなに愛に満ちているなのを忘れないでね」みたいなヒントかもしれない。
「生きる」を幅広く豊にすること、つまり宇宙として生きること。ジョイフルで愛に満ちている心で宇宙からの刺激を幅広く受け入れられるようになること。それは、何が正しいなのか、何が存在するかしないかという二元論な見方を捨てた見方から、いつも新たな心。自分はなんの判断ができるのか。数十年前に生まれてきた自分は宇宙を判断するとは笑い話だなと私意見なんだけど。
しかし、そういうのはすごく簡単に忘れるもんだね。だからこそこういう本がいつの間に目の前に飛び出してくるんじゃないかと思う。
数週間前に読み終わった「奇跡のりんご」の中で、りんごの木の土を豊にするため豆を植えた木村先生。生態系の網を復活するために自然の網引きをよりもっと精密に、いろんな種を植えてきた結果、自然が再び働き始めたと彼が言う。砂漠に立っているただ一本の木みたいに、私たちも近代の生活の中で、自然の生態系から離れて宇宙の調和を感じられなくなったんじゃないか。
念のため、うちの観葉植物の植え鉢にもいろんな種を植えてきた。アパートの中で生態系を復活するためどころか、ただ自然が好きという念いを宇宙の方に送るか、パリという都会でほんの小さいな自然の島を作ってみた。
レンズ、小麦、カボチャ、レモン、りんご、豆、なんでもいいから、ただ植えてみただけ。どれほど芽がでてきたか、自然の緑からの癒しは確かに受け取れた。見るだけで癒す、感じる。それは、ある程度、ジョイ/喜びの一種かも。
それはそれでなによりもありがたい。
以下はその写真:















